幸せの量

学生時代はお金がなくて『マリンポリス』で食べるなんてことはものすごく幸せだった*1
 
『マリンポリス』で食べるぐらいでは困らなくなったら今度は『マリンポリス』で食べるという幸せがなくなった。
 
『モス』でスパイシーモスチーズバーガー・スパイシーチリドッグ・ポテトなんて食ったら、「うわっ俺、散財しちゃったよ」、なんて満足やら後悔やら自分の食欲を恨んだり。
 
こんな思いも、今は食ったら太るんだろなあ、とか野菜とらないとなあ、とか食べても幸せじゃない*2
 
「大人の食べ歩き*3」を偶然見て、いいなあと思った。
 
安くはないけど行けないところではないし、年齢的に浮いてしまうというようなこともない。
行ってみたいところがたくさんあった。
 
でもなんなんだろう?
 
行ってみて美味しかったとして、「幸せだなあ」なんて感じるんだろうか。
 
『あまいからい』のラーメンのほうが幸せだったような気がする。
 
先輩がバイトの帰りに持ってきてくれた『祭り寿司』のほうが幸せだったような気がする。
 
 
どっかで聞いたことがあるけど、幸せの量は決まっているのかね。
恐らく自分の解釈は的外れなんだろうけど。
 
学生の時は「大人」が食う高くておいしいもの(焼肉とか寿司)をいつも食べられたら幸せだろうなあ、と漠然と思っていた。
 
でも今はそんなことじゃ幸せは感じられないんだ。
 
幸せはどんどん積み上がって増えていくもんじゃないんだね。
増えた分だけ幸せを感じるんだね。
たくさんになるとちょっとやそっとじゃ感じなくなるんだろうね。
※まあ、そんなことは自分にはなさそうだけど。
 
これからどんなことがあると幸せをかんじることができるんだろう。
 
 
それとも食いモンだけで幸せを論じてしまう自分にはやっぱりまだまだ幸せの量はたくさん残っているんだろうか。
 
なんてことを思ったりする今腹9分目で満足なオトコの独り言。
 
今日の一曲:THE BLUE HEARTS 「レストラン」

*1:実は今もこんなところにいると満足なんだけど

*2:いや、実はこんな辺鄙なところにいると毎回日本で感動はするんだけど

*3:今はガイドが辞めて休載してるみたいだけど