思うことは

今回の反日暴動で考えることはいろいろあるわけで。
 
中国に来る前(4年前)は特になにも思わなかった。
でも2ちゃんは見てたので一般的には若干右寄りだったかも。
 
こっちに来ていままでの間にいろんな日中間の問題(靖国アジアカップ騒動、領海侵犯、ガス田等々)が発生。
西北大事件の時にはまさしくデマと隠蔽の「中国」の実態を見せつけられ怒りで一杯になったことも。
日中とは関係ないけどSARSの時もまさしく「中国」の対応だった。
 
中国にいるといやでも「仕事での中国的な経験(面子、責任を認めない・押し付ける、正直ものが馬鹿をみる等々々々々々々)」をするし、生活でもいろんなところで「中国」的事象が出てくる。
日中間の問題が出る時、その出来事と対応はことごとく中国的なものとして法則のように当てはまる。
だからテレビで日本の政府、政治家や評論家のコメントに対して「そんなのん気なことを言っているからなめられるんだ」と非常に歯がゆい思いで見ていた。
 
今回の反日暴動、日本人もようやく怒ったようだ。
やっと目覚めましたか?
そうだよ、あなたたちはやっと見えたかもしれないけど中国というところは・・・。
 
ここであえて中国の言う「日本は反省していない」「日本は中国人の感情を傷つけ続けている」「ドイツはきちんと謝罪したのに日本は」これに関してはどうだろう?
 
「日本はすでに国の首脳が20回以上謝罪している」「教科書で習った、過去の歴史は十分認識している」「これ以上なにをどうしてほしいのか?」「中国は自国を有利にするために謝罪の歴史もODAのことも自国民に知らせていない」「文革や○○の侵略問題はどうなんだ」「ドイツは民族殲滅を狙ったが、日本は戦争行為でのことだ、当時の国際情勢からして日本だけが攻められるべきものでもない」「靖国は日本人の死生観によるもので中国の死生観を押し付けられるべきものではない」
  
これはよく出る議論。
自分もほとんどそうだそうだ、とも思った(かなり強くね)、今日までは。
いわゆる大半の良心的日本人も昨今、特に今回の暴動に対する中国政府の対応に対しこのように考えたのではないか(日本にいないから肌感覚ではわからないが)。
  
こんな時期に怒りながら自分のことを考えた。

日本は悪かった、ということを出発点にしていると思われるものに対して。
・日本は何回も謝罪している・・・「自分」が心からの謝罪の気持ちを持ったことがあるか?
・過去の歴史は十分認識している・・・「自分」が原爆、沖縄戦、日本への無差別爆撃のように認識しているか?
※どこかで都合よくつくられた捏造の歴史を追認する必要性はまったくないと思うが、歴史的に侵略した、という事実は動かないと思う(これは自虐教育の影響だと思う?)。


なぜこんなことを考えてみたのか、それは中国関係のメルマガ(ネットで拾ったチャイナなんとか、どこか忘れた)のメッセージと李肇星の「日本国民にトイブチーなことはやったことがない」発言から。
そのメルマガは到底受け入れられない主張(特に領土問題:竹島尖閣諸島をくれてやれ、あとは補償しろ)をしてたのだけど「自分」のこととして考えるいろんなきっかけがそこにはあった。
李肇星の発言はちょっと会談前には想定外だったため。
 
自分は自虐史観いっぱいと言われる80年代に歴史教育を受けた。
そのときに習ったことに関しては?あの有名な「絵」もあったと思うけど?
・・・お勉強だから記憶はどこかに行ってるわね。
 
さてプロ市民がよくやっている被害を受けた人たちにうんぬん、という主張に対しては?
・・・うさんくさいわね。
 
こっちのタクシーで運転手に日本は戦争でうんぬんという主張に対しては?
・・・うるさいわね。
 
「謝罪している」「認識している」と主張する際には「自分」というものを考える必要があるのか、と思った。
国家として謝罪している、というものと国民感情というものは別なのかもしれない。
もちろん今日の事態を引き起こした原因の一つはひどい反日教育の影響だろう。
 
日本がこうだったとしたらどうなんだろう?
もし「日本」がA国に70年も昔に侵略されたとして、
・A国から何回も謝罪されて(きちんと知らされて)
・でも当時の状況から見て仕方なかったとか
・国家間の補償問題はすでに解決している
・いつまで謝ればいいのかとか
・現在の平和主義のA国の姿を見ろとか
・本当は国民の大部分は謝罪の気持ちをあまりもってないとか
・「日本」侵略を決めた政治家・軍人、戦争中の犯罪者(とされる)もいる共同墓地を参っても問題ない(「日本」とは死生観や宗教が違うのだから「日本も」理解すべきだ)
ということが相手国の本音だとしたら。
私自身誇りに思っている日本国民はどうでるのだろう?
 
加害者は忘れるものであり、鈍感になるものだ。
侵略されてこの態度をとられるといくら日本国民でもやはり怒るわねと思うけどどうだろう?
ただ、一方でもし被害国がお人よしの日本だったなら70年代80年代の当時の日本の態度に対して(今の日本のような主張はなかったわけだから)その時代に許してたかもしれない。
それでも後になって死生観・宗教で片付けられるとどうだろう?
まあ、そんなことを想像しても侵略された国の気持ちはやはりわからない。
 
ということで、今回の暴動のひどいやり方と政府の対応に怒りまくって脊髄反射するのでなく、いろんなことをこの機会に考えるのもいいかもしれない、と思う。
 
もちろん
犯罪を傍観し日本人の生命と財産を守ろうとしないことや、硬直的で一方的な主張を繰り返すことや、デモのなんたるかを知らず手当たり次第日本関係のものを壊す暴徒、国民に情報を伝えずあやまった情報の流布を許すこと、なぜか外相会談でニヤニヤ丁寧語でしゃべる町村(期待してたのに!)
にははっきりと間違っていると言わなければならない。

そんな中国に住みながら怒り一杯で真夜中にちょっと考えてみたオサーンの春。

今日の一曲:長渕剛 「昭和」
昭和